このページでは90年代から現在まで続くフランク・ロイド・ライト照明の復刻事業や、それにまつわる調査の様子などを詳細に解説しております。1992年、YAMAGIWAはフランク・ロイド・ライト財団の厳正な審査を経て、ライトの照明復刻のライセンシーに選ばれました。YAMAGIWAは残されたライトの建築や実際の照明器具を徹底的に調査・研究し、表面的な形状だけではなく、素材の扱い方から光の様子に至るまで、ライトの意図を追求。精度の高い照明復刻に努めました。1994年に完成し、財団の認可を受けた5シリーズ12点の復刻照明は、財団のみならず米国で広く高い評価を受け、一部は現在もYAMAGIWAのロングセラーモデルとなっています。


1982年よりライト財団は、ライセンスプログラムをスタートさせました。プログラムは、家具のスチールケース(過去にはカッシーナ)、テーブルウェアのノリタケ(過去にはティファニー)、ファブリックのデザインテックス(過去にはシューマッハ)など各分野のリーディングカンパニーにライセンスを許諾し、フランク・ロイド・ライトの残した遺産を復刻するものです。
きっかけは、ライトの設計した建築が解体され、その一部がオークションで天文学的な価格で取引されてしまうという事態でした。財団はライトの建築を芸術作品ではなく、あくまで実用品として捉え、造られた時以上に価値を吊り上げられてしまうことを憂慮していました。
プログラムの障害となったのが、様々な素材を横断的に扱えるメーカーの不在でした。木が扱えるメーカーは金属に弱く、逆に金属が得意なメーカーは木に弱いといった具合に、それぞれの得意分野以外に精通しているメーカーが少なかったのです。とりわけ照明には木やスチールといった基本的な素材に加え、ブロンズやステンドガラス、フロストガラスまで多種多様な素材の加工を必要としていました。
候補がなかなか見つからない中、財団は当時のカッシナージャパンのトップに相談します。結果、昔から建築家と手を携え、品質の高い製品をつくりあげていたことから、YAMAGIWAを紹介されたといいます。
1992年 10月
YAMAGIWAは財団からのオファーを受け、契約を締結すると、直ちに米アリゾナ州はタリアセン・ウエストにあるフランク・ロイド・ライト財団を訪れます。日本国内で手に入るライトの作品集や建築資料集をもとに、予め独自の復刻候補を立ていたYAMAGIWAスタッフは、財団の資料館を訪れ数百点にものぼる図面、資料のコピーやマイクロフィルムを持ち帰りました。





▲ タリアセン・ウエスト以外にも財団の管理する資料館で詳細な調査を行いました。

そのようなきっかけでヤマギワの方々がアメリカに来られ、一年以内に契約をかわしたのです。ヤマギワのスタッフは復刻作業に入るとものすごい量の調査をされました。私どもの書庫に来ていただき、さまざまのライト設計の住宅を見学され、更には模型も見た上で開発に取りかかったのです。彼らが何百枚も図面をコピーして帰ったその後、実際どれを候補として選んだのか想像もつきませんでした。
(1994年2月 プレスミーティングにて フランク・ロイド・ライト財団 フェイファー氏挨拶より)
1993年 3月





渡米の結果を受け「F.L.Wプロジェクト」として復刻事業が社内でスタートしました。
本プロジェクトはYAMAGIWAのブランディングと、世界市場に進出するためのフラッグシップ・プロダクトとして、ライトの歴史的な傑作を加えたいとの思いがありました。

復刻選定は財団のアドバイスを尊重しながらも、作品年代のレンジを長く取ること、単品として美しい器具で広くインテリアにマッチすることを基準に行われました。加えて、復刻後のコーディネート販売も見越し、他の分野ですでにライセンス生産されている建築から選ぶことも重視されていました。
この時点で復刻のための現地調査や、日米での生産メーカーまで詳細な検討も進められています。
1993年 5月


YAMAGIWAは持ち帰った資料を元に推測図面を起こし、実測のための調査旅行を実施します。ロサンゼルスのストラー邸、シカゴのロビー邸、スプリングフィールドのデーナ邸、ウィスコンシン州のタリアセンなどライトの建築は全米各地に散在しており、YAMAGIWA スタッフはアメリカ大陸を飛び回ることになります。
実際に現場の実測を経たからこそ分かることは少なくなく、例えば同じ意匠を持つ器具も建築に合わせた複数のサイズが存在することなど、ライトの精緻な哲学が明らかになり、復刻の精度を高めていくことになります。

当時のスタッフは調査にまつわる困難について以下のように語っています。
「例えば吊り物(編注:ペンダント照明のこと)は基本的に取り外せないため、脚立を立て慎重にサイズを計り、あらゆる角度から写真を撮りました。また、細工の複雑なものは、与えられた時間が限られていたので、フロッタージュで模様を写し取ったりしました」
写真はクリックで拡大できます。
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デーナ邸の器具は高度なステンドグラス技術を要しました。日本にその技術があったとしても、かなり高額の上、職人を何度も現地に連れて行く必要があることから、アメリカ現地での制作を検討することになりました。
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ロビー邸を調査中、当時設置されていたブラケットライトが、オリジナルに似せて造られた後年のものであることが発覚しました。オリジナルの器具は当時から現在までロビー邸を所有するシカゴ大学の倉庫に眠っていました。
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1993年 6月〜 10月

▲ 審査の様子
調査を終えるとYAMAGIWAは直ちに実施図面を制作、プロトタイプの製作に着手します。製造は日米を問わず高度な技術があり、コストの見合う工場を選び、物によっては同じものを日米両国で製造しました。10月には第一回試作品が完成、財団の審査を受けますが、その反応は極めて良好で、絶賛と言ってもいいものでした。

とはいえ、小さな修正要望はありました。これは当時の日米の感受性からくるものと言え、例えば真鍮製品は日本ではクリア塗装するのが普通でしたが、アメリカでは磨き上げたままの無垢の状態が一般的でした。触れば徐々に変色し、変色すれば磨くのが自然だと考えられていたそうです。

去年の10月にミルウォーキーに来られ現物をもってきてもらった時、私は大変驚きました。その作品群は1902年から1952年に亘るライトの生涯にわたるさまざまな時代の照明をカバーしていたからです。しかも時代を越えてすばらしい出来ばえでした。ライトは素晴らしい工芸、職人芸をこよなく愛した人でした。まさにこれらのヤマギワの照明制作に、そのことが反映されていました。この建築家の50年に亘る活動がカバーされた製品でした。
(1994年2月 プレスミーティングにて フランク・ロイド・ライト財団 フェイファー氏挨拶より)

復刻予定品の中で唯一財団が難色を示していたものが、ミッドウェイ・ガーデンズのために造られた照明「ミッドウェイ」でした。
問題は第一に、復刻の手がかりとなる建築の保存状況が良くなかったことにあります。建物そのものはもちろん器具も現存していませんでした。手がかりとなったのは数点の建築写真と、図面のスケッチのみ。その上さらに、発表当時からしてライトが自分のデザインを忠実に再現していないということで、完成品に不満を持っていたことも財団に復刻をためらわせていました。
しかし、当時のYAMAGIWAスタッフは
「ライトは自分のデザインにではなく、作り方に不満を持っていたのだから、メーカーとして是非チャレンジしてみたい」
と考え、財団にプロトタイプを製作させてもらえるよう頼み込みました。
完成したプロトタイプを観た財団は魔法のようだと驚き、設計されてから100年近くが経過したデザインにもかかわらず、当代の建築で充分に通用する普遍性を実感したといいます。


1994年 1月〜 2月









財団の最終修正要請を受けて、YAMAGIWAは2度目のプロトタイプを製作。日米の垣根を超え、器具の特徴や制作ノウハウ、技術力などを考慮して造られた5シリーズ12点にわたる最終試作版は、ほとんど製品に近いものとして94年1月に完成。翌2月にはニューヨークのMoMAにて開催されたフランク・ロイド・ライト没後35年を記念した回顧展「建築家:フランク・ロイド・ライト」のオープニングに先立って記者会見を実施しました。



ニューヨークで開かれた会見には、回顧展が話題になっていたこともあり、ライト財団理事長を始め、関連各メーカーの社長、建築、インテリア関係者、そして50名を越す報道関係者が集まり、盛大な記者会見となりました。この模様は後日、ワシントンポスト紙上で大きく取り上げられました。さらに、4月にミラノで開催された国際照明展「ユーロルーチェ」、5月のニューヨークにおける「ライトフェア」にも出展、いずれも好評を博しました。



YAMAGIWAでは1994年から現在に至るまで、フランク・ロイド・ライト照明の復刻、販売を続けています。さらには建築・インテリアに関する美術館展示への協力や、同じライセンスプラグラムに参加している企業とのコラボレーション展示。そして現代のデザイナーたちがライトの照明デザインを再解釈したプロダクトを発表する「HOMMAGE to TALIESIN」など多数の取り組みを続けており、様々な形でライトの哲学を今に伝えています。